四畳半テクノポリス

コロナのストレスで気が狂い、D進した院生

天才にあったときの辛み

世の中には天才がたくさん居て辛い

東大には学部生でcernインターンに行ってLLVMのコミッターになってMITの博士に進学する人が居るらしい。聞いただけでもうんざりする。あと最近医者からエンジニアに転職してGoogleに入った人もいた。こういうのを聞いているだけでも死になくなってくるが、世の中の大半は凡人であるわけだし、そういう人が労働者の大半を占めるわけだから、中途半端に劣ってるからって私が死んで良い理由にはならない、これも辛い。

そんな雲の上の話は良いんだけど、僕も生きてきて二人くらい天才にあっている。どっちも高専で出会った人間であり、後輩である。本当は先輩にも情報オリンピックで入賞するような天才が居たはずなのだが、話しても専門が違いすぎてどういう風に頭が良いのかイマイチわからなかった。

後輩のうち一人は組み込みに関して大きな成果を上げている。高専生の頃から有名な組み込みライブラリのコミッターだったし、現在では学部生にして日本のある領域じゃデファクトスタンダードになっているOSのポーティングを担当している。僕と彼とは仲がよく(と僕は思っている)、今でも一緒に同人誌を書いたりしてるが合うたびに彼の才能には驚かせられる。

もう一人は無名の天才である。中学生時代にIEEEに投稿できそうなレベルの研究を一人で行っていたり(これはその分野の研究者に合わせて裏を取った)、多分10代にして年収800万円台の社会人と同等の技術力を持っていたり(これは僕がSONYインターンに行ったときに居た社会人と比較しての感想)いろいろ規格外なのだが、いかんせんちゃんとした場所で成果を発表していないので評価されていない。一応プログラミング大会では大賞を取ったりしてたけど、チーム参加だったし、部活でやってる大会だと、全国大会止まりだったりする。未踏にも応募しなければ、オープンソースソフトウェアに関しても、独自に修正を公開して、本家に勝手にマージされたりと、なんだかいろいろもったいない生き方をしている。ちょっと心配である。

 

こういう風に身近に優秀な人間が居るのは、Twitterで見かける天才の話を聞く以上に、生きていてなかなか辛いところである。

ただ今の私はそこそこ名の通った国立大学で平均的な院生をしている。東証一部の会社にエンジニアとして内定だって持っている。これは高専時代の僕が見たら、なんでそんなに辛がっているのか理解できないだろうし、私のポジションを羨むだろう

 

ただなんか、私がこのまま東証一部の会社に就職して凡庸な社員となって、結婚して、アッパーミドルを再生産して、とか想像するとなんだかうんざりする。や幸せってそういうものでしょ?)

ただ、どうでも良いんだけど、アッパーミドルの再生産ってすごく大切な仕事の気がする。

 高卒労働者のの集団の1%を大卒労働者にすると生産性が改善された高卒の給与が数%上昇するって研究結果が出てるし、教育に投資して日本の学力を支えてるのはアッパーミドルだろうし(私は全部公立だぞ)、アッパーミドルの再生産って日本を維持するために大切なことだ。それが嫌ってことは義務の放棄な気がする。

多分僕は常に変化していたいんだろう。良い方向に。