四畳半テクノポリス

コロナのストレスで気が狂い、D進した院生

「クジラの文化 竜の文明」大沢 昇

 以前神保町の古本市で三冊500円のまとめ売りで買った本である。

本のタイトルのクジラは日本のことであり、竜は中国のことである。

内容としては日米の文化の対比を歴史、文化、地理的要因、宗教、フォークロアなどの様々な側面から考察している本である。また中国と日本の類似性を語る上でアジア圏の文化と欧米文化との比較も登場する。

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概要

一章 「顔」と「国の形」

 主に地理や歴史的な側面に関しての比較を行っている。国の成立の経緯や皇帝と天皇の違いなどについて詳しく解説している。最初は「日本鬼子」や「艦隊これくしょん」といったオタクカルチャーや日本から中国に流入した漢字の話から入り、それを起点に日本と中国の文化の根本的差異や類似点に関して話を広げていく。

 特に興味を引かれたのは皇帝に関する話である。私たちの日本の天皇は伝説上では神の血を引いていることになっており、血筋によって決められるものであるが、中国の皇帝は能力のある人間が選ばれるシステムであり、どのような身分の人間であっても運さえ良ければ皇帝になれたということである。そのせいか、天皇は位を子供に譲ることで退位するのがもっとも多いパターンであったようだが、皇帝が退位する要因としては一番が寿命や病死などによる退位、二番目が廃位、三番目が殺害であったという。

二章「水の文化」と「火の文明」

 機構的要因や生活様式から生じる、衣食住の文化に関する対比を行っている。タイトルの「水」と「火」という部分についててであるが、これはそれぞれの国においてのの浄化の象徴である。

 巨大な大陸にあり、大河が流れている中国における浄化の衝動は食べ物や水を消毒できる「火」であり、それが調理法などにも大きな影響を与えている。それに対し、細長い島国であり、中央の山脈から左右に短い川が流れている。かつて日本を訪れたオランダ人土木技術者も日本の川を見て「これは川でなく滝だ」といったという。このような短く水源から海までの距離の近い日本の川は淀むことがなく、常にきれいな水が手に入ったこのようなことから日本で「水に流す」という言葉があるように、日本における浄化の象徴は水であるという。

三章 どちらも現実主義だが

 国民性というか、国民の気質やものの考え方に関する対比を行っている。この章で私が面白いと感じたのは3節の”「縮みの志向」と「巨大願望」”である。簡単に言えば日本人は何でも小さく纏めてしまうことを好み、中国人は大きく巨大で壮大なものを好むというはなしである。

 このような傾向は建造物で顕著に現れており、中国の都市部へ行けば巨大な建物が沢山あるという、以前私は親戚に会うためにシンガポールを訪れた時に、多くの巨大なビルを目にし、度肝を抜かれた経験がある。日本にも都庁をはじめとする単純に大きい建造物は多数存在するのだが、それらとシンガポールの建物は空間のつくりがまったく異なっているのだ。巨大な吹き抜けやマリーナベイサンズのような一見無茶な建造物を多数みかけた、このような傾向はやはりシンガポールの経済の中枢を華僑が回していることが影響しているのだろう。

 また、本に登場するエピソードで、大学生として興味を惹かれるものに、こんな話があった。中国からきた留学生が日本の大学で研究テーマを決めるとき大きく壮大なテーマを選ぼうとする。すると日本人の指導教官からダメだしをもらい、もっと小さなテーマを選ぶよう促される。その後中国に帰りかえり研究テーマを尋ねられて答えると、「わざわざ留学までして、そんな小さなテーマを扱ったのか」と文句を言われるのだという。このような一見文化と関係なさそうなアカデミックな領域まで国民性が関与してくるのは意外であった。

四章 明るい競争社会の裏側

 移動手段や文学や芸術に関しての対比が行われている。タイトルの意味は良く分からなかった。

 移動手段に関しては国土の性質が強く影響しており、中国の辞書では日本で言う「衣食住」の項目が「衣食住行」となっているのだと云う。比較し狭い面積でかつ細長い日本では東海道などに見られるよう徒歩による文化が発達し、縦横それぞれにとても広い国土をもつ中国では乗り物による移動の文化が発達したのだという。

 文学に関しては宗教の影響が強く影響している。古くより日本では仏教神道が信仰されており、幽霊が創作の題材に取り扱われる。これには日本の神道が単なる体系性をもった多神教ではなく、地域の特性を色濃く持つ土着宗教に近い性質を持っていたり、仏教に関してもかなりのローカライズがなされている、ことが影響しているのかもしれない、それに対し「儒教思想の支配が強い中国では孔子が人知の及ばないところに関しては語るべきでない」といっているように幽霊などは民の時代までは、あまり文学の題材として扱われることはなかったという。中国は欧米や日本と比べ創世に関するハッキリした伝承がないためフォークロアに関しても自由な発想のものが多く、孔子以前の古い民話や伝説が失われてしまっていると思うと少し残念である。

五章 「クジラの文化」と「竜の文明」

 タイトル回収の章である。日本がクジラ、中国が竜に例えた理由やそれに対する今後の展望にかんして書かれている。

 竜は欧米の伝説ではお姫様が竜にさらわれたり、黙示録の獣が竜であるように悪の化身として扱われるが、中国では神聖なものとして崇められ、中国人は自分たちは竜の血を引くと自称するという。筆者は中国の竜の特徴は様々な生き物の特徴の複合であることを挙げている。竜の頭は麒麟にており、鹿に似た角と、鯉に似た髭を持つなどのキメラ的特長を持つ、このことから他民族が入り混じり多数の文化が組み合わさった中国の文化との類似性なども含め中国を竜の文明としている。

 それに対し、日本の象徴としてクジラを挙げている、日本の文化として紀元前よりクジラを食べる文化を持ち、鯨の肉から、髭、内臓に至るまで余すことなく使い、クジラを弔う「青海島鯨墓」があるなど、鯨が日本文化に密着していること、中国と近すぎず離れすぎず独自に進化したことなどを挙げ日本をクジラの文化としてる。

感想

 まず購入したときの値段に対してかなり楽しめる本だったので満足していることを書いておきたい、中古なので筆者にお金がまわらない事を少し申し訳なく思う。

 私は以前よりエンジニアとして東洋のシリコンバレーと呼ばれる「シンセン」対し強い憧れを持っていたので中国に興味はあったのだが、技術的な側面でしか見ていなかった中国に対し様々な側面で見識を深めることができた。

 エンジニアとして興味を惹かれたものに「落」という概念があった。中国には「盗」と「落」とう二つの概念があり、「盗」は盗みで罪であるが、自分の仕事場のものを少し持ち帰って使うことは「落」にあたり、罪ではないということである。聞く話によるとシンセンのジャンク屋に行くとiPhoneのCPUなどが平然と売られているという、iPhoneの製造は中国のFoxConの工場で行われているというが、こういった部品が流出している事態も「落」に当たるのかと考えてしまった。